高槻市議会議員 高木りゅうたのブログ

高槻市議会議員・高木の活動日記

福島県へ


6月28日から3日間、福島県に行ってきました。
写真は南相馬市の小高地区から避難された方が、
住民が集える場所を作りたいと設立したNPOの事務所にあったミーティングの内容を書き記したもの。
その方は福島第一原発の水素爆発で噴きあがった白煙を自宅で見て
自主的に逃げたとのこと。
自宅にも行かせてもらいましたが、近隣住民の誰も
家には戻ってはおらず、最近再開した金融機関や消防署以外、
ほとんど人気がなく、町の雰囲気は言葉に表せないものでした。

閉鎖された小高駅。

駅の駐輪場は自転車が置かれたまま。

津波による塩害と原発事故の影響で放置された田畑。小高地区はいまだ除染作業も始まっていません。

飯館村では酪農を営まれていた長谷川さんに現地を案内してもらいました。

村内の放射線量も持参の測定器で測りましたが国が設置した
モニタリングポストで表示される数値(1.6マイクロシーベルト)とこれだけの差が(6.6マイクロシーベルト)。
長谷川さんが「この機械の下に鉄板がある、それでいくらか遮られてる
地面をはかって見ればわかる」と教えてくれたので計測すると

持参の測定器の上限値19マイクロシーベルトを越え、測定不可となりました。
「飯館はまだ1%くらいしか除染が進んでない」「国は山林の除染はやらないといっている。やらないというよりできないんじゃないか」「除染したあとになぜか線量が上がる場所もある」
など、除染が効果的なものか、大きな疑問をもっていることを話されていました。

いたる所に行き場のない汚染された土砂や可燃物が『仮の仮置き場』に置かれていました。
以前、NPO法人「日本で最も美しい村」連合飯館村は選ばれています。

相馬市では水産業を営んでいる方に現地を案内してもらいました。
現在は試験的に漁を行っているだけで、本格的に漁を再開する目処は立っていません。
「もともと跡継ぎがいないところに原発事故が起きた。相馬の漁業の先行きは見えてこない」
「補償金じゃなくって汗水垂らして稼いだお金で生活するのが一番いいんだ。いまはそれもできなくなった」と話されていました。現在は県外産の水産物の加工を続けながら、漁業・農業を含め将来的に持続できる
産業を作っていけるか模索している段階ということです。

建設中の漁具倉庫。
案内していただいた方は「こんなハコモノばっかり作ってっけど誰も漁に出られないのにおかしいよな」と複雑な面持ちで話されていました。すぐ隣では津波で被災した水揚げ場の解体工事が行われていました。

福島駅からすぐの市民測定所「CRMS」さんを訪問しました。


ここには企業や団体からの基金を使って食品などの測定器やホールボディカウンターを設置されたそうです。
ちなみに行政の助成制度などは手続きが複雑だったり、助成費も限定されるなどの理由で利用していないとのこと。
2011年の10月に設立。庭や市民農園で作った野菜を持って来る方が多いそうです。
また県が18歳未満のこどもの放射線量の測定をおこなっていますが、校正する意味でこちらで再度測定する
方や18歳以上の方が利用するとのこと。
県内9ヶ所の測定所と東京の測定所1ヶ所のデータをここで集積。
将来的には全国の測定所と連携し、放射線量の統計などを作る計画があるそうです。

案内していただいた方は別れ際に
「私はただ普通にここに暮していただけです。原発事故で何もかもが変わってしまった。こんなことは想像もできなかった。でももう戻ったとしても元通りの生活ができるかわかりません」
「そういう現実を知ってもらうだけでもいいです。ここに来てもらって何か感じ取ってもらえれば」
と仰っていました。
原発事故の現実を忘れてはいけません。「普通の生活ほど大切なものはない」と何度も話されていました。