高槻市議会議員 高木りゅうたのブログ

高槻市議会議員・高木の活動日記

11月14〜15日は僕が所属する文教市民委員会で愛知県刈谷市(市民会館)と静岡県静岡市(遺跡博物館)に行政視察に行ってきました。
11月14日

昨年開館した「総合文化センター アイリス(市花カキツバタ学名)」は刈谷駅再開発の一事業として整備されていることもあって駅近、交通もかなり整理されていていました。

1541席の大ホールは前席の座席が取り外せることで車椅子の方がそのまま観覧できる仕組みだったり、舞台を拡張してオーケストラ使用に変更できるように設計されているとのことでした。
  
ちいさな子どもを連れて観覧できる部屋もありました。この文化センターは建設を行う上で障がい者団体や市民意見を反映した「人にやさしい」ユニバーサルデザイン(エレベーターのボタンが足の位置にもあったり、玄関に無人音声案内で誘導する仕組みがあったり、混みやすい女性トイレを多めに設置したりなど)を重視したそうです。昨年はユニバーサルデザインバリアフリー建築物に贈られる内閣府の賞を受賞したそうです。

きれいな調理実習室です。このほか、楽器無料貸し出しの録音スタジオ(プロ使用の録音機械!)や茶室、リハーサル室、282席の小ホールなどまさに複合的センターとなっています。

施設運営は指定管理者が行っています。建設費は約180億円。国からの交付金が約15億円です。学習施設とホールの利用者合計は昨年度で約29万人。規模が大きくなったこともあり、旧市民会館の利用規模を上回っているとのこと。市役所に隣接していた旧市民会館は改修工事を行って再度市民会館として利用するよう求める声や中規模ホールとして保存する議論もあったそうですが、工費や維持費の問題で結局取り壊しになり現在は空き地と駐車スペースになっていました(今後防災公園として整備するようです)。
市民会館の建て替えが駅前再開発事業であること、複合的総合センターとして建設されたこと、市の財政状況(豊田関連企業が市内に5社ある…)の違いなど、正直、高槻市の市民会館建て替えとはいろいろと状況が違うところもありました。
それでも「人に優しい建築コンセプト」など参考にするべき部分もありました。市民に身近で市民でつくり上げる…そういう市民会館であるべきだと思います。

11月15日
二日目は「静岡市立登呂博物館」の現地視察。登呂遺跡についてはこちら⇒http://www.city.shizuoka.jp/deps/kyoikusoumu/torohaku_index.htm

戦後初めての大規模集落の発見で考古学上、貴重な遺跡なので教科書で見たことのある人も多いと思います(はずかしながら僕はよく知らなかったのですが)。

博物館は昨年新設されたばかりで随所に新しい展示方法などが採用されていました。

竪穴式住居や高床倉庫まど復元した公園と古代米の栽培など当時の田んぼの様子も再現されていました。
旧博物館は最盛期、年間20万人の来場者があったそうで、市民も発掘作業に携わるほど市民の戦後の復興の精神的支柱になっていたようです。戦後の開発のなかで他の地域でも遺跡が発掘されたことなどから、現在は年間8万人の来場者数になっているとのことでしたが、新設された博物館でも市民ボランティアが運営の手助けをしたり、職場体験の中学生がいたりと市民との協同運営に取り組んでおられました。
またここは災害時の一時避難場所に指定されているそうですが、海岸から2キロに位置していて、3.11級の津波に対応できるか現在、国と調査・検討をはじめていると聞かせてもらいました。
今城塚や安満遺跡など歴史的遺産が数多く残る高槻で外からの来場者を呼び込むことも大事ですが、市内の歴史遺産と市民との関わりをどのようにつくっていくかも重要です。今年開設したいましろ大王の杜の在り方、安満遺跡の整備もそういった観点で取り組んでいく必要を感じました。

小学生がデザインし公募で選ばれたトロベー
話がずれますが16日(水)の総務消防委員会では9月議会で上程された京大農場跡地(安満遺跡)の防災公園整備に係る三議案が取り下げられるということになりました。この結果は良しとしますが、あぶくのように浮かんで消えた今回の防災公園整備案、行政側は議会での議論を受けての判断と説明しましたが、ガンバの新スタジアム建設が頓挫したことが原因なのか、その他になにか原因があるのか、とにかく一貫して不透明なまま議論が進められているのは問題だと思います。
跡部分の整備もいまだ全体像がはっきり見えませんが、今後も住宅地、景観、環境などと調和の取れた京大跡地のあり方を求めていきます。